パソコンの自作とは何であって何でないのか
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はじめに
コンピュータは多くのパーツが組み合わさってできているということは常識ですが、その「多くのパーツ」をひとつひとつ自力で調達して組み上げることで、実際に使うことのできるコンピュータを作っている個人が世の中にたくさんいることを知る方は少ないかもしれません。
そもそもそんなことが可能なのか、疑問に思われる方だっているでしょう。……可能です。ノートパソコンやスマートフォンとなるといくつかの制約によって難しいこともありますが、デスクトップパソコンを組み上げることに関しては可能です。きちんとした知識があれば、その行為で問題が発生することもないでしょう。
パソコンをパーツから組み上げる行為は「自作パソコン」という立派な趣味です。
なぜ人はパソコンを自作するのか
パソコンの自作では、パソコンを構成するパーツをひとつひとつ選定し、購入し、組み上げる必要があります。わざわざそのような面倒を払ってまで、なぜ人はパソコンを自作するのでしょうか。
よく言われることですが、パソコンの自作は既製品の購入に比べてコストを抑えられるわけではありません。非常に限定的な場面においてはコストは抑えられるでしょうが、既製品のような性能を持つパソコンを自作する場合は、基本的に既製品の価格に勝つことはできません。一見すると安く抑えられたとしても、既製品にあった保証や簡便さがないことなどを含めて総合的に判断すると、既製品の方が優れています。ここで言うコストとは、別に金額のことだけではないのです。企業努力を軽んじることは決してできません。
しかし「非常に限定的な場面」においてはコストは抑えられます。自身の需要が、企業が努力してくれない需要であった場合、自作が最適であるのです。
例えば、なんらかのデータを大量に保存するためにストレージデバイスをたくさん搭載したパソコンが欲しいとき、おそらく既製品では満足できないでしょう。多くの人にはそこまで膨大なデータを取り扱う機会はなく、企業はその「多くの人」を相手に商売をしているからです。
例えば、世の中のパソコンはほとんどがWindowsというOSを搭載しますが、LinuxのようなWindowsではないOSを搭載したパソコンを組み上げたいとき、Linuxを満足に動かせるパソコンは既製品では少ないでしょう。Windows基準な世の中であえてLinuxを使おうとすると、意識的に相性問題を避ける姿勢が重要になってくるのです。そのような意識は多くの人にはありませんから、企業にも必要ありません。
自作パソコンとは基本的に、自身の需要を満たすパソコンが既製品にないときにするものなのです。
どういう人がパソコンを自作すべきなのか
ここまでの説明で理解してもらえたことでしょうが、パソコンの自作とは目的達成のための手段です。その人自身の目的に沿うような既製品があるかどうかによって、自作すべきかどうかは変わってきます。
パソコンをワープロやネット閲覧のための機械として捉えているのであれば、自作するまでもないでしょう。そのような捉え方をしている人は世の中にたくさんいて、企業も努力していますから。
パソコンを計算機として見ていて、なんらかの高度なプログラムを高速に実行するために必要としているのであれば、自作するという選択肢も悪いものではないでしょう。既製品で妥協するくらいなら最初から理想を求めて自作する、というのは立派な選択です。
パソコンをゲーム機として捉えているのであれば、自作する必要はほぼないでしょう。そのような捉え方は現代においてはありふれたもので、企業も様々な選択肢を用意してくれています。受注生産型のパソコンとして「BTOパソコン」というものもあって、自作パソコンほど自由ではないもののある程度のカスタマイズが可能という、優れた選択肢です。
そういう私はなぜパソコンを自作したのか
面白そうだったからです。
好奇心を満たしたいという需要は、企業が努力してくれない需要のひとつです。たとえパソコンを自作することで余計なコストがかかるとしても、好奇心が満たされることによるリターンが大きかったのです。
おわりに
全人類、軽率に需要を満たしていけ。必要ならパソコンすらも自作していけ。