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私が好きでやったことが他の人のためにもなったらお得かも!

それはWikipediaであってWikiではないし、それもUSBメモリであってUSBではない。

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「WikipediaをWikiって略すな!」というネットスラングがあるらしい。らしい、というのはこの言い回しがされているのは初めて見たからだが、たしかにそういった主旨の異なる言い回しの投稿は何度かSNS上で見かけたことがある。(何度も、かもしれない。)この主張は、次のような論理をしている。

  • ウィキ (Wiki) とは、オンラインでWebブラウザを介して、不特定多数のユーザーが共同でコンテンツを執筆する形式である。
  • Wikipediaとは、Wiki形式で編集された百科事典である。
  • ちなみに百科事典は英語でEncyclopediaといい、Wikiの語源はハワイ語のwikiwiki(速いという意味の形容詞)から取られている。

これはまこと正しい論理で、これに照らして初めて「ゲームの攻略ウィキ」という存在についての矛盾ない説明ができる。世の中にはウィキ形式のWebサイトが多くある。ゲームの攻略方法を有志でまとめた攻略ウィキというものも、その名前通りウィキ形式なのだ。

ちなみに「企業系ウィキ」と呼ばれるサイトも世の中にはあるが、これは「企業が運営するゲーム攻略情報配信サイト」であり、ウィキではない。企業がアクセス数を稼ぐために粗製濫造しているサイトで、そこの情報を執筆できるのはその企業に雇われている人に限られている。(まあ雇用関係といっても大抵は外注だろうが。フリーランスの求人を取り扱うサービスでは多くの募集を見つけることができる。)

閑話休題。WikipediaをWikiと略すのは、Wikipediaやウィキの本質を理解していない、理解している側からしてみれば馬鹿らしいものだ。企業系ウィキというのもそう。「ここでいうウィキとは本来の攻略ウィキと対比させたものだ」と説明できるかもしれないが、一般的に誤用であることは否めない。しかし同様の現象は他の場面でも見られる。

USBとは、パソコンと周辺機器を繋ぐためのUniversal Serial Busという規格の名称を略したものだが、一部でこの言葉はUSBメモリの意味で使われている。USBメモリはUSB規格に則って接続される記憶媒体(メモリ)であって、それ自体がUSBではない。世の中にはUSBマウスやUSBキーボードもある。

コンセントとは壁などに設置された、電力を供給するソケットであり、挿し込むものは電源プラグである。「コンセントに挿す」ことはできるが、「コンセントを挿す」ことは基本的にできない。できたとしたらそれは、電気工事士の有資格者による設備工事というやつだ。

こういった、あるものを別のものの名前で呼んでしまうことは、言葉を意思疎通ツールと見たとき基本的に誤用となるため、避けるべきだ。……が、「基本的に」とか「すべき」とかいう言葉を私がここで選んだように、「絶対に駄目!」と言い切ることはできない場合がある。

例えば仲間内で「それ」であることが十分に指示できるのであれば、仲間内での会話ではその呼び方で困ることはない。我が家には「小さな紙」という名詞があった。これは学校が宿題として出したプリントに付属していた、感想文を書き入れる紙のことだ。小さな紙なんて他にもいくらでもあるだろうが、我が家では「小さな紙」といったらこれのことだった。また、「おりこうスイッチ」という名詞もあった。蒙古斑のことで、母は私のお尻にあるそれをからかって押し、押された私はおちゃらけてお利口になった振りをしていた。

仲間内で伝わるのであれば問題ないのだ。そしてここでいう仲間とは案外広く、家族や友人といった単位ではない、国家や文化圏にまで及ぶ。「蒙古斑」は英語で「mongolian spot」という。それらを現代語に直訳するなら、「モンゴル人の斑」となるが、この言葉で表される身体的特徴は決してモンゴル人しか持たないものではない。アジア人のほとんどが持つし、黒人の多くも持つ。白人だって持たないわけではないらしい。けれどそれは蒙古斑と呼ばれている。

別の例として、「サハラ砂漠」を挙げたい。アフリカ大陸北部にある世界最大級の砂漠地帯のことだが、サハラとは「砂漠」という意味のアラビア語である。よって「サハラ砂漠」とは「砂漠砂漠」という意味になる……が、これは重箱の隅をつつくようなものだ。サハラと言って一般名詞としての砂漠を連想する日本人は少ない。だから日本という仲間内では、サハラといったらサハラ砂漠で、固有名詞だ。

チゲ鍋のチゲだって、元は鍋料理を意味する朝鮮語だ。金平糖の語源であるポルトガル語のconfeitoは、たしかに金平糖に似た砂糖菓子を意味することもあるが、通常の飴を意味することもある。電源の「コンセント」は和製英語で、元々はConcentric plugのことだった。(コンセントを挿すこともあったわけだ!)

言葉が元々の意味から離れていく現象はありふれていて、枚挙に暇がないとはこのことだろう。文化圏を隔てれば意味なんてすぐ変わるし、年月によっても変化は起こる。大事なのはきっと、その時々の相手との意思疎通が簡便に済むよう言葉を選ぶことであり……、それはことさら取り上げるほどに目新しい道理でもない。相手を慮るのならば当然為すべきことだ。あるものを別のものの名前で呼んでしまうことは、言葉を意思疎通ツールと見たとき「基本的に」誤用となる。

蒙古斑は通常、成長とともに消えていく。私からもとうに消えていて、母はそれを少し寂しがっていた。あるとき母は冗談めかして言った。「オレオレ詐欺に遭わないためには、あらかじめ親子で合言葉を決めておくといいらしいよ。私達の合言葉は『おりこうスイッチ』にしよう」。私と母の二人の文化圏は、誤用によって守られているのかもしれない?