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私が好きでやったことが他の人のためにもなったらお得かも!

「リピート・アフター・ミー」への偏向

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中学1年生の頃に受けた英語の授業の形式は、当時の私を酷く困惑させた。ALTから配られた英語で書かれた教材を、私達生徒は延々と「リピート・アフター・ミー」させられた。しかしそれ以上のことはさせてもらえなかった。これがイマージョン教育とされる授業の失敗例であることを知ったのは、それから数年が経過した頃だった。

発音記号の読み方すらも教わることができなかったことはとても残念だ。日本語をほとんど話せないそのALTは、「聞いて覚えろ。使って覚えろ」とでも言うようになんども「リピート・アフター・ミー」させた。そもそもALTはAssistantであるというのに、授業を仕切るのはその日本語をほとんど話せない人だった。これは、すでに日本語を扱え、論理的思考もできた当時の私から、日本語を足がかりに英語を捉える機会が奪われた出来事である。

すでに母語を習得している人は、母語によるメタ言語的な知識の活用が可能である。発音記号や音声変化の体系的な理解、語順や時制の比較、文法構造の明示的な指導。これらは習得済みの母語を活用すれば格段と理解しやすかっただろう。そしてこれは、自動車の運転を始める前に交通ルールを学ぶことと同様に、道具としての言語を使いこなすには、まず「仕組み」を理解する必要があるという発想に至る。

母語による基礎学習と実践的な英語使用の融合こそが、真に効果的な英語教育の鍵であるはずだ。言語学の知見や学習者の既有能力を尊重せず、「知らない言語で書かれた知らない内容の文章をひたすら復唱させる活動」を通して英語の習得を目指すというのは、非効率で、非人間的であるとさえ言える。私達は「既に何かを知っている者」として、知識に基づいた学びを選択すべきだ。

「英語を道具として活用することを通して学ぶ」というコンセプトは理解できるものだ。言語とは道具であり、道具の使い方を実践を通して学ぶというのは理にかなっている。しかしイマージョン教育も決して万能ではなく、それは母語を活用した基礎学習の上に成り立つものであると考える。