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中国国防部による「粉骨砕身」の誤用についての調査

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背景

2025年11月14日午後6時24分、X(旧Twitter)にて、China Military Bugle(中国軍の公式報道アカウント)が次のポストを投稿しました。

このポストには本文はありませんが、添付された画像には次のような日本語の文章が書かれています。

“日本側が歴史の教訓を深く汲み取らず、
あえて危険な賭けに出たり、
更には軍事的に
台湾海峡情勢に介入したりすれば、
必ず中国人民解放軍の鉄壁の前で
粉骨砕身になり、
多大な代償を払わなければならない。

(強調部は原文では色付き。)

これは、この英語のポストにリプライとして投稿されたものです。これら一連のポストは、2025年11月7日に高市早苗首相が、「台湾をめぐる存立危機事態とはどういったものか」という野党議員の質問に対して答えた内容が、中国の目には軍事的介入に映ったことに端を発するものであると捉えられます。

「粉骨砕身」の意味について

ここで日本語話者が気になるのは、日本語の文章中で「粉骨砕身」が誤用されていることです。

広辞苑第六版には次のようにあります。

粉骨砕身
骨を粉にし身をくだくほどに、力の限り努力すること。

Wikipedia日本語版、およびWikipedia日本語版が出典とするマイナビニュースの記事では、粉骨砕身の由来は「中国の唐の時代、禅僧『永嘉大師』によって書かれた『禅林類纂』からきた教えである」とされています。

粉骨砕身は、中国の唐の時代、禅僧「永嘉大師」によって書かれた「禅林類纂」(ぜんりんるいさん)からきた教えです。
原文は「粉骨砕身未足酬 一句了然超百億」(粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず 一句了然として百億を超う)という詩のような経文になっています。
訳は、「私は身を粉にして供養しているが、まだお釈迦様の御恩に報いていない。お釈迦様の説法は一句だけで百億年の修行を超える価値を持っているのに」です。

また、小学館が運営するメディア「Domani」の記事でも同様の説明がされています。

以上より、「粉骨砕身」を「相手の骨を粉にし身を砕く」という意味で使うことは、日本語では誤用であると言わざるを得ないでしょう。

誤用が生まれた背景について

ではなぜこのような誤用が生まれてしまったのでしょうか?

「粉骨砕身」という四字熟語は中国語では「粉骨碎身」として知られ、中国のオンライン百科事典「百度百科」では、次のように説明されています。

“粉骨碎身"是汉语联合式成语,标准读音为fěn gǔ suì shēn,本义指身躯粉碎、牺牲生命。该成语最早见于唐代蒋防《霍小玉传》中"平生志愿,今日获从,粉骨碎身,誓不相舍"的表述,明代凌濛初《初刻拍案惊奇》卷二十亦有"虽粉骨碎身,无可报答"的用例。其用法可作谓语、定语、状语等,在清代洪昇《长生殿·骂贼》中发展为"便粉骨碎身,也说不得了"的变体。与"粉身碎骨"为异文同义关系,常出现在表达献身精神的语境,如明代于谦《石灰吟》名句"粉骨碎身浑不怕,要留清白在人间”。

出典が『禅林類纂』であるとはされていないものの、意味には大きな違いはなく、「身体が粉々になること、命を犠牲にすること(そしてそれを厭わないこと)」です。文学应用の項では、次のような応用についても述べられています。

在古典诗词中,明代于谦《石灰吟》创造性地将成语拆解重组为"粉骨碎身浑不怕,要留清白在人间",通过石灰烧制过程的拟人化表达,赋予成语新的哲理内涵。

石灰吟』は、明代の政治家であった于谦が書いた詩です。消石灰を作るために石灰石を焼成し生石灰とする過程を、擬人化を通して「たとえ粉々に砕け散る(粉骨砕身する)としても、私(=石灰石)は恐れない。自らの清らかさをこの世に(真っ白な消石灰として)残すのだ」と描いています。こうした表現により、もともと成語であった「粉骨碎身」に、新たな、自己犠牲を厭わない毅然とした誠実さという哲学的意味合いが付与されています。

中国語の「粉骨碎身」にもこれらの背景が存在することを思うと、中国語においてこの言葉を「相手の骨を粉にし身を砕く」という意味で使うことが正しいとされるかについては疑問があります。

2025年11月15日現在、中国国防部報道官による当該ポストの文面にどのような経緯で誤用が含まれたかは定かではありません。続報があり次第、この記事は更新されます。