これは、12月1日から始めた「お一人様アドベントカレンダー」の13日目の記事です。これまで12本の記事を書いてきて、そろそろ積極的に生活の中からネタを探さないといけないくらいには追い詰められてきました。
というわけで、こういったネタ出しの場面でよく使われるテクニックである「マインドマップ」を使おうと思い立ちました。しかしマインドマップについて調べれば調べるほど、疑問……というより「世の中で持て囃されているマインドマップが本質的ではない」気がしてきてしまいました。
この記事では、マインドマップという古くからある発想支援ツールを見つめ直し、ブログ記事執筆を含む「構造化された最終生成物」を作るためには、そもそも何をどう整理すべきなのかについて考えていきたいと思います。
マインドマップは長らく「アイデアを広げるための便利ツール」として支持されてきました。しかし、その便利さの本質は一体どこにあるのか。デジタル時代の今、従来の慣習に無自覚に縛られすぎてはいないか——。そんな観点から考察していきます。
マインドマップとは何か
マインドマップとは、中心に置いた概念から放射状に枝を伸ばし、関連するアイデアを視覚的に展開する図のことです。
そもそも私たちの頭の中には、最初から整った文章が浮かんでいるわけではありません。考えは曖昧な繋がりとして存在し、それらを紙の上に書き出し、寄り道をしながら関係性を探り、意味付けしていきます。その寄り道の足跡を俯瞰できるようにしたものこそマインドマップ。良いネーミングですね。
マインドマップは、ブレインストーミングとも深く関係しています。ブレインストーミングとは、複数人で集まって、できる限りたくさんのアイデアを出し合うという発想法のこと。そこでは、寄り道を積極的に許容し、他人のアイデアに乗っかることすら推奨されます。その自由な連想こそが発想量を増やす鍵であり、マインドマップはそのプロセスを視覚化する道具なのです。
マインドマップは、作業開始からアイデア出しの初期段階で強力なテクニックです。概念間の関係性を直感的に把握できるため、ブログ記事のネタ出しにもぴったりですね。
マインドマップの慣習とその目的
一般にマインドマップを書くときには次のような手順を踏むことになります。
- 紙面の中央にルートとなるキーワードを書く。
- そこから放射状に線を伸ばし、関連するキーワードを書き、接続していく。
- 色やアイコンで分類し、強調する。離れた場所にあるキーワード同士を接続することもなくはない。
これらは一見「マインドマップとはこういうものだ」という規則に見えますが、実のところ多くは紙の視認性やスペースの問題への対処から生まれた慣習です。
中心にルートがあるのは連想の中心であり、中央からの距離で意味的な近さを表現できるから。放射状に枝分かれさせるのは、書き足しやすく視認性も良いから。こうした形式は合理的ではありますが、「本質的要件」ではないはずです。
本質的要件さえ見たすものなら、マインドマップはどのように書いてもいいはず。となると、「書き足す」ことや「視認性を確保する」ことがやりやすいデジタルツールを使えば、もっと便利に読み書きできるようになるかもしれません。
レイアウトや装飾は本質ではない
では、マインドマップに本当に必要な要件とは何でしょうか。
少なくとも、放射状レイアウトやカラフルな装飾は本質ではありません。紙面の余白さえ管理できるなら、トーナメント表のように枝分かれさせても構いませんし、色分けに意味があるかどうかも再考すべきです。すでに関係性で構造化されているのなら、色やアイコンは必須ではないかもしれません。
マインドマップの本質は、頭の中に雑然とある概念とその関係性を俯瞰し、思考を整理することにあります。
それ以上のものではありません。極端に言ってしまえば、単語と矢印で構成されただけの、1週間後の自分が読んで理解できる保証すらない図を、わざわざアーカイブし続ける必要もないでしょう。アーカイブすべきは、組版や自然言語によって十分に構造化された最終的な文書です。マインドマップが多少見やすくなっていたり、かわいくなっていたりしていたとしても、後に残るものはありません。
もちろん、「何を中間生成物と見なすか」は目的によって変わりうるでしょう。しかし、「中間生成物はアーカイブ不要」とは言いましたが、これは逆に言えば「アーカイブすべきものは中間生成物ではない」という視点です。「中間か最終か」という保存するか否かの基準を、「将来の自分や他者が、意味のある形で再利用できるかどうか。そして再利用したいと思うかどうか」として捉える形です。
この基準に照らすと、単語と矢印だけで構成された図は、当時の思考の文脈を失った瞬間に急速に価値を下げていきます。一方で、組版され、自然言語によって論理関係が明示された文書は、時間が経ってもアーカイブとして機能し続けます。この差を生むのが構造化の度合いで、いかにして「残るに値する形まで組み上げるか」「マインドマップを文書に仕上げるか」が重要になる理由です。
単語だけでは足りない
従来のマインドマップでは、キーワードは多くの場合「単語」です。これは紙面にあった余白という制約によるものだと考えられますが、単語だけでは「なぜそれがそこにあるのか」という他のキーワードとの関係性が曖昧になりがちです。
本当に重要なのは概念そのものよりも、その概念がどのような理由で他の概念から派生したのかという関係であるはずです。
最終的に文書を作る際のことを考えると、この関係性が明らかにされていないのは大きな欠点です。よって、マインドマップでは、装飾を増やすなどより先に、関係性を表現する手段を整えるほうが本質的でしょう。
この点、デジタルでマインドマップを書くとなれば、「書きやすさや読みやすさを確保するために単語を使う」という制約を回避する手段が多くあるため便利です。文章で関係性を書いても、普段はそれを非表示にする(非表示にできるエディタを使う)などしておけば、視認性は確保されますから。紙面のときのように余白の管理に注意を払う必要も、良い設計のエディタを使えばないはずです。
(そして、良い設計のエディタとはそこまで特別なものではありません。スクロールなどの概念は、長すぎるものを普段は非表示にするものとして普遍的です。)
マップである必要もない
「関係性さえ表現できるなら、わざわざ2次元平面に配置する必要すらそもそもないのでは?」という疑問も浮かびます。ある概念から別の概念を指し示すポインタさえあればいいかもしれないのです。
有向グラフとして関係を表現できるデジタルツールはすでに存在します。ObsidianやLogseqは、ファイルとファイル間のリンクによって概念同士の関係を構築できるものです。とはいえ、もともと紙で単語レベルで管理していたものをファイル単位にするのは無駄が多く、ファイルシステムの制約にも縛られるため、マインドマップとしてそれらを使うことはできません。しかしグラフ構造の活用について考える上で、これらのツールは非常に良い存在です。
また、紙のマインドマップも実質的にはグラフで、矢印はいくらでも付け加えることができていたにも関わらず、大抵ツリー構造に落ち着いていたことについても考える必要があります。これは、文書化のための中間生成物としては、ツリー以上に複雑な構造に対する表現力はいらないかもしれないことを示唆しています。
ツリー化を急ぎすぎて関係性を単純化しすぎてしまうことは避けるべきです。しかしデジタルツールを使ってマインドマップを書いていく場合は、アナログではできなかったツリーの構造の大胆な変更が、コピー&ペーストによって可能です。エディター自体にグラフ構造を扱える機能を必須とするほどではないのではないか、それよりも軽さと高い可塑性を重視すべきではないか、というのが個人的な考えです。
プレーンテキストという選択肢
- 放射状レイアウトはいらないはず。
- そもそも二次元的に配置していく必要もないはず。
- スクロールなどの概念により長い内容の視認性も確保されているから単語で書く必要もないはず。
- ツリー構造さえ表現できればいいはず。
- 軽く、高い可塑性を持つべきだ。
ここで有力なのが、プレーンテキストによるインデントでのネスト表現です。
単純な親子関係・兄弟関係であれば、特殊なエディタを使わずプレーンテキストでも表現できますし、むしろプレーンテキストで表現することには利点もあります。
- インデントで親子関係・兄弟関係を表現
- コピー&ペーストも軽快
- エディタによっては行単位で移動するショートカットがあり、並び替えが容易
- インデント基準で折り畳みができるエディタもある
この書きやすさは、ネタ出し段階の中間生成物としてかなり優秀です。
画像やイラストを含められない点は弱点ですが、そもそもキーワード間の論理的関係を文章にするなら言語化は避けられません。言語化できないものをマインドマップに置いても、最終的な文書化には繋がりにくいでしょう。
プレーンテキストはバックアップもしやすく、軽量です。Gitなどで履歴管理もできます。(ブレインストーミング的な作業では「削除より追加」が主なので、履歴を管理する重要度は低いかもしれませんが。)
アウトライナーとの曖昧な境界線
そしてここまで来るともう「それはもはやアウトラインなのではないか?」という気もしてきます。
マインドマップを見た目ではなく本質で再定義すると、アウトラインとの境界は曖昧になるのでしょう。実際、Wz Editorのようにピリオドで階層を表すアウトラインプロセッサは、前述の「インデントにより階層を表すマインドマップ」と限りなく近い存在です。
Wikipediaの「アウトラインプロセッサ」の項では、「アイデアプロセッサ」についても述べられています。アウトラインとマインドマップが近い概念であることはここによく表れているでしょう。
おわりに:マインドマップはあくまで中間生成物である
マインドマップは便利な道具ですが、その便利さを支えているのは形式ではなく「思考を展開し、関係性を可視化する」という本質です。その本質さえ満たすなら、紙である必要も、放射状である必要も、単語で書く必要もありません。
デジタルツールの発達した今こそ、慣習に縛られず、中間生成物として最適な形式を選びましょう。ブログ記事を書くにせよ、もっと立派な文書を作るにせよ、大切なのは「最終生成物が構造化されていること」。そのためにどんな形でアイデアを整理するかは、もっと自由であっていいはずです。
デジタルの価値は、構造を何度でも壊して組み直せる可塑性をもたらすことにあると思います。そして、この可塑性を使い切った先に到達した、自然言語で構造化された成果物だけが、アーカイブに耐える。マインドマップやアウトラインはそのための使い捨て可能な中間生成物であり、だからこそ軽く、高い可塑性を持った形式であるべきです。
マインドマップという古い技法を見直し、柔軟に捉え直すことで、私はこのお一人様アドベントカレンダーを走り切ることができる……かもしれません。書かなければならない記事はあと12個。折り返しです!