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反応の設計思想:絶対に依存性のない安全なものとはなんだろう

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    「プロセスへの依存」という概念と「スマホ依存」という言葉

    依存には、大きく分けて「物質への依存」と「プロセスへの依存」があります。物質への依存とは、アルコールや薬物への依存です。一方、プロセスへの依存というのは、ギャンブル依存やいわゆるスマホ依存です。

    依存症とはやめたくてもやめられない状態に陥ることですが、その種類は大きく分けて2種類あります。
    「物質への依存」と「プロセスへの依存」です。

    依存症についてもっと知りたい方へ |厚生労働省

    しかしここで注意しなければならないのが、「スマホ依存」と呼ばれるものについて、私たちが依存しうるのはスマホという物質ではなく、スマホを介して提供されているサービスの利用というプロセスであるという点です。具体的には、オンラインカジノのようなギャンブルや、スマホゲームやSNSをスマホから利用するプロセスへの依存となります。

    スマホを介したプロセスへの依存を十把一絡げに「スマホ依存」とすることには、危うさがあるでしょう。「スマホを没収すれば解決する」といった短絡的な思考に繋がりかねません。実際、スマホを使わずパソコンを使ってそれらに依存することもできてしまうわけです。媒介ではなくプロセス——体験そのものを見つめる必要があります。

    しかし、スマホという誰もが所有する手軽で便利なデバイスが、様々なプロセス依存の媒介になっていることは注目に値します。スマホを介して提供されるどういったプロセスに人は依存しうるのでしょうか。私は何に注意してスマホを利用すればいいのでしょうか。何に注意してあらゆるプロセスをこなせばいいのでしょうか。

    ギャンブルと投資は違う。なら投資には依存しない?

    ギャンブル依存に関して、個人的に不思議に思うところがありました。ギャンブルには、賭けたお金が増えたり減ったりすることへのドキドキがあるわけですが、別に金額が上下する場面はギャンブルにしかないわけではありません。それこそ、ボラティリティ(≒価格変動)の大きな投資にも、予測できない上下はあるものです。

    ギャンブル依存を悪いものとして、オンラインカジノなどを規制することは重要なことであり、それを批判するつもりはありません。しかし、もしかすると人間はありとあらゆるプロセスに依存しうるのではないか、という視点に私は注意を払っています。

    例えば、投資が過度にゲーミフィケーションされ、簡単で刺激的で、すぐ反応したくなるようなものとして作られていたら、それに人は依存せずにいられるでしょうか。ギャンブルのようにパッケージングされた投資は、ギャンブルとどういった違いを持つのでしょうか。(このような設計をされたサービスとしては実際にRobinhoodなどが存在し、批判対象となっています。)

    ではどの程度ゲーミフィケーションを薄めていけば、依存せずすむようになるのでしょうか。ひょっとしたら、この社会で行われているありきたりな投資活動にも、必要以上にのめりこんで生活をおろそかにしてしまっている人はいるかもしれません。

    ここに、UNICEFがまとめた、支出や投資のゲーミフィケーションが子供に与える影響についての記事があります。

    記事が示しているのは、支出や投資といった行動がゲーミフィケーションされることによって、本来持っているリスク感覚や慎重さが奪われ、「熟慮を経た金融上の意思決定ではない気軽な社交的行動」「衝動的で十分な情報に基づかない選択」につながるのではないかという懸念です。投資が手軽にできるようになること自体は、金融包摂の観点から重要なものです。しかしポイント、バッジ、リーダーボードといったゲーム的機能の統合は、ユーザーが体験のスリルに惹かれ、過剰な取引や投機的な投資を助長する可能性があると指摘されています。

    The interactive and reward-based nature of these apps could also foster compulsive behaviors, with some users developing compulsive trading habits that mirror gambling practices. These platforms often employ sophisticated behavioral design techniques that capitalize on young users’ FOMO (fear of missing out) and social comparison tendencies, potentially normalizing high-risk financial behaviors during formative years.

    これらのアプリのインタラクティブ性と報酬ベースの性質は、強迫的な行動を助長する可能性があり、一部のユーザーはギャンブル行為に類似した強迫的な取引習慣を身につけることがあります。これらのプラットフォームは、若いユーザーのFOMO(取り残されることへの恐怖)や社会的比較の傾向を巧みに利用した高度な行動設計手法を採用していることが多く、人格形成期における高リスクの金融行動を正常化させる可能性があります。

    設計された反応

    ゲーミフィケーションが「高度な行動設計手法の採用」であるというこの観点から見ると、投資とギャンブルの境界が曖昧になる理由もはっきりします。

    価格の上下に対する緊張や興奮そのものは、投資にもギャンブルにも同じように存在するものです。投資とギャンブルの違いは、本来は冷静さが介在する余地にあります。本来の投資は、情報を集めて考え、慎重かつ冷静に判断する余地がある行為です。ここで、インターフェイスがゲーミフィケーションされると、その丁寧な判断を下すための思考の時間が削られ、投資体験がスリリングで魅惑的なものに設計・演出されてしまうわけです。

    つまりギャンブルの問題点は、操作の快感を最大化する設計によって行動が興奮材料として扱われる点であり、言い換えると、反応を引き起こす設計が人間の弱さにつけこんだことにあるわけです。

    このことを踏まえると、スマホを利用する際に注意を払うべき要素は、「どのサービスがどのような反応を引き起こすことを意図して設計されているか」であると整理できます。

    依存のリスクは特定の分野だけに潜むものではありません。パソコンはスマホとは違うからといって依存の媒介にならないわけではありませんし、投資はギャンブルとは違うからといって依存対象にならないわけでもありません。「絶対に依存性がない安全なプロセス」なんていうものは存在せず、人間の注意や報酬系を捉える仕組みはどこにでも入り込みうるという前提に立つことが重要でしょう。

    制度や教育のあり方について考えることはもちろん重要で、金融以外の、SNS依存やゲーム依存などに対しても取り組まれることが期待されます。しかし、個人レベルで今すぐできることとして、自分が触れている体験の設計思想、自分の感情の動かされ方を一歩引いて観察する習慣が、冷静さを見失わないために役立つことを受け止めるべきでしょう。

    時間を忘れさせる構造になってはいないか。操作のたびに快感が返ってくるようになってはいないか。考えるより先に反射的な行動を促してはいないか。これらを注意深く観察していくことで、依存に近づいているサインに気づきやすくなるはずです。