現在、2025年12月23日。私は12月1日から25日まで、毎日ブログ記事を書くという無謀な挑戦をしています。23日目の今日の記事では、今年を振り返ることにします。私は持病により引きこもらざるを得ない状況に置かれていましたが、今年はその持病に関して大きな変化があり、精神的に相当揺さぶられた1年でした。
2023年の振り返りはnoteの方で「失速した生活」としてまとめてあります。当時はとても病んでいましたね……。2024年の振り返りはこのブログで、「2024年を振り返り、人生の連続性を感じるなどした」としてまとめてあります。
小説執筆に精を出した3月〜8月
さて、2024年の振り返り記事は次のように締め括られています。
とはいえ私の持病は、例年通りなら年明け頃から一気に悪化するはず。せっかく始めた動画制作や読書や感想文執筆が滞らないといいのですが……。
実際のところ今年初めの体調がどうだったのかというと……酷いものでした。
2024年12月に結果が発表された小説コンテスト、カクヨムU-24杯。そこで私はありがたいことに賞をいただいたわけですが……その結果として、「何かをしなければならない」という焦燥感がぶくぶくと湧いてきました。
「何ならできるだろう」
「できることはなんでもしなければならない」
「やらずにいることはなんだろう?」
強迫観念に近いそのような思いから、読み切れないほど大量に本を買ったり、その出費を埋めるべくポイ活にのめり込んだりしました。あの頃の私はどうかしていたと思います。
その焦燥感がある程度おさまったのが、3月あたり。ちょうどその頃カクヨムで開催されていた、KAC2025という創作イベントになんとなく参加し、5本の短編小説を執筆しました。
どれもほとんど1桁pvですが。しかし大事なのは、私が書こうと思って書き上げたこと。書き上げることができるくらいには調子が戻っていたこと。意外と楽しくKAC2025を完走できてよかったです。
またちょうどその時期に、5月にカクヨムにて「人工知能×青春」小説コンテストが開催されるとの話を知り、執筆を開始しました。そしてそれとは別に、SNSの小説執筆仲間から「文学フリマ東京41に向けて小説を持ち寄ってアンソロジーを作りませんか」という素敵な企画へのお誘いを受けもしました。「人工知能×青春」の方の小説を書き終えた5月、すぐにアンソロジー企画用の執筆に着手しました。
アンソロジー企画用の小説『空気の味』を書き上げたのは8月頭。文字数にしておよそ13000文字の力作です。執筆中、カクヨムで開催されていた「ナツガタリ」というイベントにも短歌(これやこれ)を書くなどしていたことを思えば、相当高密度で文芸活動に取り組んでいたと言えるでしょう。
3月〜8月は動画制作も頑張っていた
文芸活動に精を出していたその時期には、動画制作にも頑張って取り組んでいました。私は去年の9月から、結月ゆかりさんを起用したMinecraft実況動画シリーズを作り始めていて、その続きをこの期間で8本ほど作ったのです。
なかなか大変でした。特に、動画内でホッパー(Minecraftのゲーム要素)の挙動を正確に解説しようとこだわったため、検証にとても手間と時間がかかってしまったのです。エミュレータ的なスクリプトを書いて調査し、最終的に「Minecraft Wikiの記述は不正確である」と結論付けました。
作った動画の数自体は2023年や2024年より少ないですが、実際には作り上げることができた動画の他にも、いろいろと考え、試し、没にしていました。
例えば、今年の3月にはガイノイドTalk版の鳴花ヒメ・ミコトがA.I.VOICE化するという晴天の霹靂がありましたが、これを受けて私は、その2人によるUTF-8についての解説動画を作ろうとしていました。
別の例では、8月にはイージングの勉強としてAviUtlでのLuaスクリプティングについて調べ、SNSに動画を投稿しました。それまでも簡易的なLuaスクリプティングは行っていましたが、ディスプレイスメントマップと組み合わせるような高度なことはしたことがなかったのです。
形として残せたものは少ない1年でしたが、確実に進歩はしていた……と思いたいです。(来年こそは、ヒメミコの2人を活用していきたいところですね。)
持病の軽快とITパスポート試験合格
8月にはITパスポートの資格試験の受験も行いました。数年前からこの資格の取得に向け勉強には取り組んでいたのですが、持病により、試験を受けられるほど体調が良い時期をなかなか見つけることができず、「勉強は万全だけど試験は受けられない」という状況が続いていました。しかし今年の夏はやけに調子がよかったので、ついに受け、合格しました。
私の抱える持病(特発性後天性全身性無汗症という難病)は、私の場合、冬に酷く悪化し夏にある程度軽快するといった経過を辿ってきました。8月に資格試験を受けることができたのもそのためです。
……と言いたいところなのですが、例年通りならいくら夏真っ盛りでもあそこまで体調が良くなることはないはずなので、想定外でした。苦節10年。ようやっと寛解したのかも、なんていうふうに思っていた時期でした。
しかし、寛解したとなると人生設計が大きく変わってきます。これまでできなかったことができるようになることは、基本的に良いことですが、良いことだけではありません。これからは「社会参加」とかいうものをしなければならないためです。
これまで病気を患っているからと社会の方から拒絶されて、義務教育すらまともに受けさせてもらえなかったというのに、今更参加しなければならないというのは正直困ったものです。しかし参加するメリット(というより参加できないことで被ってきたデメリット)は理解できるので難しいところ。お金が欲しいので働きたいです。
しかしそもそもの話をすると、どうして治ったのかわからない以上、どうしたら再発せずに済むかもわからないという見通せなさがあります。「今のうちに何かをしなければならない」という焦燥感もまた、1月と同じように湧き出てきました。
まずは失われた体力を取り戻そうと散歩をして。10年の望まぬ引きこもり生活の終わりを実感して嬉しくなって。かと思ったら歩きすぎて靴擦れをこじらせて水虫になって。それを家族に笑われて……。生きることって、こんなにも難しいのですね。
冬が近づくにつれて悪化する体調
受験を経て気が抜けたからなのか。焦燥感がまた湧き出てきてしまったからなのか。ちょうどその頃、人間関係がうまくいかずにすれ違うことが増えたからなのか。……持病は軽快しつつも、生活はどんどんボロボロになっていきました。
以前から睡眠リズムはきれいではありませんでしたが、8月末からは、前日と数時間単位で入眠時刻や起床時刻がズレることが普通になってしまいました。その日のうちに寝て昼前に起きる日もあれば、明け方に寝て午後に起きる日もあれば。
動画制作や小説執筆に手がつかなくなったのもこの時期でした。動画投稿の間隔は目に見えて広がりました。せっかく誘っていただいたアンソロジー企画の本は、11月末の文学フリマ東京41で頒布されることになっていましたが、私は現地へ向かうのを諦めました。
何もできないことで、焦燥感はどんどんつのります。何かをしなければならない。でも何を? そうこうしている間に、持病もまた症状を見せ始めました。どうやら寛解したわけではなかったようで、冬になって帰ってきたようでした。
11月25日、風邪をひいて熱を出しました。平熱が35℃半ばの私が、37℃の体温を記録しました。その日は通院の予定がありましたが、泣く泣くキャンセルです。家で大人しく布団を被って過ごしました。頭の中に浮かぶのは……行けなかった文学フリマについて、行けなかった病院について、結局治ったわけではなかった持病について、すれ違ったままの人間関係について、日本人の平均体温が36.89℃であることを解説したネットの記事について。
何かをしなければならない。でも何を?
再起動
起床したら太陽に顔を向けて、ひなたぼっこをするようにしました。ラジオ体操をしたり、簡単な筋トレをするようにしました。せっかくなのでプロテインを飲んでみたり、呼吸に気を使ってみたりもしています。そしてこれらの一連の行動を記事としてまとめることを通して、見つめ直す時間を確保することにしました。それこそがこの12月に取り組んでいる、毎日ブログ記事を書くという無謀な挑戦の正体です。ブログ記事のネタのためには、生活を豊かで健やかなものにしなければなりません。
今の私が抱えている思いが、これまで通りの焦燥感なのか、これまでとは一味違ったやる気なのかはまだわかりません。私の心身の調子は、例年通りなら年明け頃から一気に悪化するはず。せっかく始めたこれらの習慣が途絶えないといいのですが……。